【週報巻頭言】2022年10月23日 真実を語り、真実に生きよ(マタイ5章33~37節)
あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5章37節)
主が「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」と言いなさい、と言われたのは、あなたがたはすべてにおいて、真実を語りなさい、真実に生きなさい、ということです。神さまに対して、真実を語り、真実に生きるというのは、誰に対しても、どこであっても、真実を語り、真実に生きるということです。
真実を語りなさい、真実に生きなさい。このように言われても、私たちは、自分が真実を語ること、真実に生きることの難しさを日々、おぼえる者です。私たち人間は、罪ある者、罪の性質を持つ者であるから、神さまから離れたこと、神さまと真逆のことをしてしまうのだ。それは、仕方がないことなのだ。そのように言われる方もあるでしょう。しかし、私たちはそこで留まってしまう、完結してしまう者ではないことを次の聖書の言葉は教えています。
次の言葉は真実です。「わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、/キリストと共に生きるようになる。
耐え忍ぶなら、/キリストと共に支配するようになる。キリストを否むなら、/キリストもわたしたちを否まれる。
わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる。キリストは御自身を/否むことができないからである。」(二テモテ2章11~13節)
私たちがキリストを信じるというのはどういうことか。それは罪に支配されていた私たちはキリストと共に死んだのです。そして、キリストと共に生きるようになったのです。キリストと共に生きるというのは、罪に支配されていた私たちが今やキリストに支配された、ということです。「わたしたちが誠実でなくても、/キリストは常に真実であられる」。確かに私たちは神さまの前に立つ時、自分は誠実ではない、真実ではない、ということに気づかされます。しかし、私たちの信じる方、キリストは常に真実な方です。この方が私たちを支配し、真実に生きるように導いてくださいました。そのことを信じて、主よ、真実を語る者にしてください、真実に生きる者にしてください、と祈りつつ歩むのです。そうするならば、神さまが私たちを造りかえてくださいます。
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